最近の中国とアメリカの関係から思いを馳せてみる

最近、中国とアメリカの関係雲行きが怪しい感じですね。近年の中国のIT企業の発展は目覚ましく、中国経済がアメリカ経済を上回ることをアメリカは恐れていることが原因のようですね。この問題は僕から言わせれば、「ジャイアンは誰だゲーム」と呼べるんじゃないでしょうか。国力の大きな国同士であれば、国家は世界のトップとなり牛耳ることを視野に行動するでしょう。アメリカがトップになろうが、中国がトップになろうが、はたまた、ロシアがトップだろうが、日本という面積的に小さな国は「スネ夫」としての立ち回りしかできないだろうなあと思ってしまいます。こんな事を考えていると、民衆の暮らしや経済にとって、「国家」って概念不用じゃないのってたまに思います。この考えのもとにあるのは、僕の博愛主義的な思想でしょう。これは、僕のなかで、半ば宗教的ともいえる、確信的な信条でもあります。この考えを持つようになったきっかけは、上海への留学。当時、日本のメディアが中国を取り扱う場合、マイナスの情報であることがほとんどでした。僕もそのような情報を見る機会が多く、自然と中国に対し漠然としたマイナスのイメージを持っていました。しかし、実際中国に留学してみると、そこには情に厚い中国人がいました。これは、日本人とはまた、違ったよさなんですよね。関西人のノリに少し近いかもしれません。もちろん、いい人ばかりではなく、歴史的な問題については、日本に対し否定的な意見を持っている人が多いとも感じましたし、少し居心地の悪いような場面もいくらかありました。でも、これは日本人にも差別的な人がいるのを考えれば、同じような比率なんじゃないかなと思います。この時僕は、国で人を判断してはいけない、その人その人となりをしっかりみて判断しようと心に決めました時でした。

そんなこんなで、「博愛主義者」となった僕は「国」って概念不要だろって結構思っちゃいます。もちろん、言語の問題や行政上の管理など、「国」の概念があるからこそ便利な面は否定できないです。でも、結構弊害も多いのかなって感じます。例えば、今回の中国とアメリカの経済覇権争い。中国のIT企業は実際、いい製品を作るからこそ、国を問わず多くの人が買いたいと思うわけですよね。TikTokしかり。時代をさかのぼれば、日本も同じ経験がありました。トヨタです。1980年代の貿易摩擦時、低燃費のトヨタはめちゃ人気でしたが、アメリカの自動車産業の雇用に影響するとしてバッシングの対象となりました。この背景からレクサス(マイドリームカー笑)が生まれることになりました。

これって、いい製品を使いたいユーザ目線で見たとき、ただの制限でしかないですよね。新しい技術は、既存の雇用を奪いますが、同時に新たな雇用も生み出します。これを制限するのは経済を守りたい国家なんですよね。。国がなければ、良い製品の規制もないし、人種差別などの妄想のレッテル張りもないし、世界が平和になるんじゃないかなと思ってしまいますね。仮に国が存在しても、アメリカや中国など国力の大きな国は、日本と同じくらいの国力になるまで分割されてくれたらなと思います。

以上、コスモポリタンな世界を妄想してみた記事でした。

最近の中国とアメリカの関係から思いを馳せてみる」への2件のフィードバック

  1. Ame 返信

    なかなかいい文章ですね。「コスモポリタン」のことに感心しています。

    • AOKI 投稿者返信

      コメントありがとうございます。
      一人ひとりがコスモポリタン的思想を持てたら、世界はより素敵になると信じています。

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